1995年のオーストラリアはこんな感じだったよ【レトロ6】

1995年の オーストラリア

【レトロ5】からの、つづきとなります。


エスペランス → 仕事を求めてオールバニーに戻って来ました。

仕事あるかな?

オールバニー(Albany)

エスペランス → オールバニー へ再び向かう

     〔1995.11.08 ~ 12.28〕

再びオールバニーにやって来て、宿のオーナーに仕事があるかどうか尋ねてみたら、
「ストロベリーピッキングの仕事がある

ということで、5日後から働けることになりました!

ストロベリー! いちご!


いかにも美味しそうで、楽しそうな仕事です!

とりあえず仕事は決まったので、一安心できました。

移動遊園地

オールバニー3日目の朝。
宿の食堂でパンを食べていたら、オーナーが短期バイトで働きたい人を探していたので「働きたい。」と伝え、移動遊園地で2日間バイトすることになりました。


町の中に広い公園があって、ちょうど移動遊園地が来ていたのですが、僕自身初めて移動遊園地を見たのでかなりワクワク、テンションが上がりました。

色んなアトラクションがありましたが、僕の仕事は「観覧車の切符切り」

たまに機械トラブルで動かない時もあったけど、子供も大人も楽しんでくれました。

1日目は夜の10時まで、2日目は移動遊園地の最終日だったので夕方5時頃には営業が終了し、「ヤッター!終わったー!」と思ったのですが、それは甘い考えでした。。。

終わりじゃなかった。。。

営業終了と同時に後片付けが始まり、まずはアトラクションを解体していきます。
バラした部品はみんなで協力して運びましたが、1つの部品が大きくて重いので、かなりの重労働でした。。。

でも、トータルでは楽しい2日間でした。

ストロベリーピッキング

いよいよ、メインの仕事が始まりました!

・農場までは車で片道約20分かかりますが、僕は車を持っていないので、宿のオーナーが送迎してくれました。

・労働時間は、早朝から昼過ぎまで。
(朝は寒いので長袖だけど、昼には暑くなります)

・地元の人が多く働いていて、高卒くらいの若者から70歳くらいのおじいちゃんまで、幅広い年齢層でしたがみんな仲が良かったです。
(毎日、20~30人が働いてました)


「ストロベリー」って、響きが可愛いし、サイズも小さいのでシャムロック経験者の僕にとっては簡単で楽な作業だろう思ってましたが、現実は違いました。。。

作業自体は、イチゴを軽く掴んで捻ると細い茎が「プチッ」と切れるので簡単だけど、地面に出来ているので、常に中腰状態というのがとてもツライ。。。

シャムロックのキューカンバーを思い出す。。。

全員、腰痛との闘い。。。

唯一の楽しみは、たまに大きくて美味しそうなイチゴが見つかるので、それは収穫せずに自分で食べながら作業をしてました。(イチゴ食べ放題♪)

イギリス人5人組

仕事が始まって数日経った頃、車で旅行している陽気なイギリス人5人組が宿にやって来ました。

年齢は僕より年上っぽいけど、騒いでることもあったので、
「うるさい奴らだなー。」と感じ、あまり関わらないようにしていました。

ところが、ちょっと気になる情報があり、それは
「彼らも、ストロベリーピッキングをやるらしい。」という噂でした。


「マジかよー。まぁ、なるべく関わらなければ、別にいいか。」
と考えていましたが、毎日送迎してくれる宿のオーナーからショッキングなお知らせがありました。。。


「トム、明日から彼らも働くことになったよ。
 農場までトムも一緒に乗せてくれるって。 よかったね。」

!!?  今、何て言った!?

「エッッ!? 自分が彼らのお世話になる? マジで?」
と思いましたが、とてもそんなことは言えません。。。


「トム、明日からヨロシク!」と、彼らは明るく挨拶してきたので、

「オッケー。。。サンキュー。。。」と言うしか出来ませんでした。。。

マズイ! こんな展開は予想してなかったぞ。。。

どうにもできないブルーな気分のまま、翌朝はやってきました。。。

お、お世話になります。。。

ストロベリーが「実は想像以上にツライ仕事である」ということをまだ知らない彼らは、朝からテンションが高く、元気に叫んでいました。

「行くぜストロベリー! ウェーーイ!」


この時分かったのですが、彼らは別々でオーストラリアに来たらしい。

アンディジェイミーの2人は昔からの友達、ボブデイブカラムは旅の途中で意気投合して、現在は5人で移動してると言ってました。


農場へ向かうワゴン車の車内では、彼らが大好きなUKロックのアルバムをカセットテープで流し、みんなで歌ってる。

「トム、このバンドカッコイイだろ。超人気あるんだぜ。」

とボブに言われたのですが、当時の僕はアメリカのハードロックを主に聴いていたので、UKロックの曲はよく分かりませんでした。

みんな、ホントはいい人達だった♪

冷静に考えてみると、「会ったばかりの薄汚い日本人」を一緒に乗せてくれた彼らって、すごく優しいですよね。

後になってから気付きました。。。

イチゴ畑 の「戦い」

イチゴ畑では、みんな自分のペースで作業します。
必ず腰痛がやって来るので、彼らが真面目に働けるのか心配でしたが、時々様子を見るとちゃんと作業してたので、

「おー、意外にちゃんと働いてるじゃん。」と思い、安心しました。


しばらく作業していると、「ドンッ! ドンッッ!!!」と足元で音がしたので見てみると、熟れ過ぎて腐ったイチゴが潰れていました。

周りを見ると、どうやらジェイミーがイタズラで投げてきたらしい。

「ヒャハハハ! トム、調子はどう?」


腐ってブニョブニョになったイチゴは結構あるので、「調子いいよ」と答えながらこっちも投げ返し、ちょっとした「戦い」が始まります。

バトル開始!

2人で投げ合ってるうちに、真面目に作業しているアンディやボブ達にも投げて、最後には4~5人での投げ合いになります。

お互い、服に当たると「グチャッ!」と赤黒く染まりますが、時々こうした「ふざけあい」で息抜きでもしないと、腰が痛くてやってられないんです。


「イチゴバトル」は毎日やってましたが、あんまり遊んでると怒られるので、基本的にはみんな真面目に作業してました。

オールバニー での生活

ストロベリーピッキングは、その後オーストリア人のバーハートも加わって7人になりました。

昼過ぎには仕事が終わるので、近所の酒屋でビールをケース買いして、ビールが無くなるとまた誰かが買って来る、という「仕事とビールが中心の生活」でした。


この町には多くの日本人も滞在していたので、レストランで働いていた人もいたし、ケアンズで会った日本人と約半年ぶりに再会する、ということもありました。

ちょうどクリスマスや年末が近づいてきて町全体がお祝いムードになっていたので、12月20日辺りからは毎晩パーティー状態になってきて、連日飲み過ぎていました。。。

「飲み過ぎ」気を付けよう。。。

アンディ達はクリスマスをパースで過ごす予定だったので、寂しくなるけど22日に町から出発して行きました。

早朝の オールバニー
宿のみんなでたくさん飲んだ。。。

結局ストロベリーピッキングは40日ほどやり、楽しかったオールバニーから「2回目のエスペランス」へと僕も28日に出発しました。

あの時聴いていた「UKロック」は?

日本に戻って数年経ったある日、アンディ達といつも一緒に聴いていた曲を偶然耳にしました。

調べてみたら、『Oasis』のアルバム
・ Definitely Maybe(1994年)
・(WHAT’S THE STORY)MORNING GLORY?(1995年) でした。

あの頃はアメリカのハードロックをメインに聴いていた僕自身の好みも変わり、現在はUKロックがメインになっているので、この2枚は今でもよく聴いてます。

テレビCMでたまに使われる曲もありますね♪

ありがとうございました♪ つづく。。。